悲しみの果てに、優しさはある。幸せのレシピ6

悲しみを超えて・・。

いつの世も、悲しい出来事は繰り返されています。本人が望もうと、望むまいと、時にそれは突然に人々の下に訪れます。果たして、私達は一体この悲しみという感情とどのように対峙していけばいいのでしょう?今日は、そんな悲しみとの向き合い方について、考えていきたいと思います。

kanasimi

 

望まなくてもやってくる、それが悲しみ。

以前にも話したと思いますが、お釈迦様はこの世を苦しみと例え、苦諦という言葉を残しております。この言葉の意味する所は、生きていることは苦しい事だと、そう仰っているのです。老いる事や、死ぬ事から絶対に逃れる事はできませんし、理不尽なことにもあうでしょう。 そう考えると、本当に人生は苦難の連続です。お釈迦様がいったこともわかりますね。では、私達はただ与えられる苦しみに悲しみ、おびえて暮らさなくてはいけないのかというと、決してそんなことはありません。大切なことは、その苦しみをどのように捉えるのかということなのです。

 

苦しみにも理由があるのだ・・。

そこで、私が一つ紹介したいストーリーがあります。一昔前にドラマや映画にもなった、1リットルの涙という作品はご存知でしょうか?主人公である木藤亜也さんは、「脊髄小脳変性症」という不治の病に侵され、わずか25歳でなくなってしまいます。 結婚もできず、子供もうめず、色々な事を諦めなければならなかった。周りの友人達が成長していく中で、日ごとに奪われていく自由、狭まっていく自分の世界に、どれだけ悔しい思いをされたのか、測り知る術はありません。 それでも、周りの手を借りながらやっと生きていた彼女の人生。これこそまさに、本人の意思とは無関係に訪れる、苦諦そのものです。

この彼女の人生は、一体どんな意味があったのでしょうか?見方によっては、それはただただ残酷な神様のいたずらに映るかもしれませんね。しかし、彼女が果たした役割は、ただ難病に蝕まれた人生というだけではないことは明らかです。本の中では、彼女が病に苦しみながら頑張っている姿を見て、それまで医師がどれだけいってもリハビリをさぼってばかりいた老人が、懸命にリハビリに励むようになったというエピソードが描かれています。彼女の悲しみ、そしてそこに立ち向かっていった彼女の生き様は、沢山の人に勇気と感動を与えてくれました。

悲しさが生み出すものは、何より優しい。。

本人にとっては、本当に過酷な運命だったかもしれません。でも、彼女が生きた証しは、きっと彼女が思った何倍にもなって人々の心に刻まれています。彼女の話を聞いた多くの人が、命を大切にしようと感じたでしょうし、また彼女の話を聞いた何人かは、医療の道を志したかもしれません。彼女が生きたことで、多くの人の心の中に、優しさを生みだし、命の大切さを伝えたのです。

あなたに不意に訪れる悲しみも、捉え方を変えれば、彼女が受けた悲しみとなんの変わりもありません。そこにはあなたを慰めてくれる人がいるかもしれません。あなたが悲しみに立ち向かう姿が、誰かに希望を与えることが出来るかもしれません。悲しみという感情が、あなたや周りの人にどう伝わっていくのか、それも考え方一つ次第なのです。避けられないことならば、どう前向きに受け止めるか。仏教の基本的な教えの中には、執着から逃れるという根底があります。悲しみを諦め、達観することで、もう進むしかない、そんな気持ちが心の奥底に沸いて来ます。もちろん、悲しみをどうとらえ、どう生きていくかは本人の自由ですが、あなたにとって最良の選択肢が用意されていることを忘れないで下さいね!では、今日はこれで失礼します!

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